④行政の透明性はシステムとして機能しているか?
人間及び人間が作るあらゆる組織は不完全でり、自らの利己心を自らの意志で十分にコントロールできない存在である。新薬聖書の中でパウロは確か自分を『悪心を持ち正しいと思った善をそのまま実行できない存在』と表現しています。これが人間の本質です。ドイツの哲学者カント、彼はジョン・ロックと並んで近代を代表する政治哲学者ですが彼も人間とは不完全な存在で自らの悪心を自らの力だけではコントロールできない存在だと述べた。それで社会には人々の悪心が互いに打ち消しあって社会には悪心が無きが如く見える体制が必要だと述べてそれを共和的体制と述べた。現代風に言えばチェック&バランスである。
モンテスキューはこの考えを三権分立として確立した。行政は透明性原則のもとに市民のチェックを受ける必要がある。
医療介護制度に地域包括システムが登場しました。近年それに対応するように地域包括ケア学会が作られました。医療介護関係者が自分が属する地域の地域ケアシステムの運営が理解しがたいものと考えなおかつ行政から十分な情報を得ることができず透明性がないと考えた場合、彼は地域包括ケア学会で論議することも可能であろう。その際行政に可能な限りの資料請求したり、関係者にアンケートを行ったりして得られた資料で学会発表や論文の投稿を目指せるだろう。
行政が運営する地域ケアシステムにおいて関連する会議のメンバーがその理由の説明もなくメンバーの了解も取らずに会議のメンバーを外されるというような不透明なことが起こった場合、全体会議のような場面でそのメンバーは経緯、外された理由、メンバー選定に対する行政の方針等を尋ねざる得ないであろう。また行政が全くその必要性について全く説明なく医療介護施設の有料の連携ツールを導入したような場合はその経緯を質問せざるを得ないだろう。(このようなケースは客観的には金銭が関わるような不正が疑われるようなケーではあるが)
当地にも情報公開条例が存在します。その根底にある理念は『行政の透明性』のはずですが当地の行政組織はそれを否定しています。当地の行政組織の幹部は町の方針を説明する際『行政の透明性』否定してこう言いました『町の担当者が答えられないし、答えられない理由を説明できないような質問を担当者にすることは行政に負荷をかけることであるからすべきでない。町の担当者が受け入れられないし、受け入れられない理由を説明できないような提案を担当者にすることは行政に負荷をかけることであるからすべきでない。』ある弁護士によるとこの方針は憲法が保障した基本的人権の表現の自由の侵害であるとのことですし現在もこの方針は撤回されていません。このような社会を近代社会と呼べるだろうか?
このようなことが許される社会は腐敗した恥ずべき社会と認識されるべきではないだろうか?
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